元CGデザイナーの普通な日記

5年間3DCGデザイナーとして働く。
現在、IT業界4年目で、運営・企画・営業などなど幅広く経験させてもらってます。

2012年は起業を目標に生き抜く!

起業準備!

よし!元CGデザイナーからITに転身し、32歳を迎えるにあたり、起業することに決めた!

石巻から東部道路を仙台南に向かう途中地震を感じ、石巻の実家と実家にいる両親・嫁子供二人が心配になり
南部道路とのジャンクション付近で石巻方向へ車をUターンさせました。
30分ぐらいで石巻に入ったのですが、大渋滞。仕方なく手前の石巻工業港インターで
下り、実家のある湊地区へ向かいました。どの道も海から逆方向の車線は大渋滞でした。
石巻大橋・うつみ橋は全く通れず、一番海沿いの日和大橋を使おうと思い大街道方面へ車を走らせました。
日和大橋は高さもあり、津波が来ても橋の上ならなんとかなるとの考えからでした。
うつみ橋から立町を通り、日本製紙横を抜け、大街道小学校近くの交差点を曲がり海へ出る、その時でした。
正面から真っ黒く上のほうがが白波となっている壁がこちらに向かってくるのが見えました。
海から逆方向へ向かい渋滞している車を次々と巻き込んでいき、どんどんこちらに近付いてきました。
後ろにも車がいたので、ハンドルを切り、歩道を必死にアクセル全開でバックしましたが、すぐに鈍い音と共に
車が浮き、タイヤが空転してるのがわかりました。
そのままなすすべもなく流されました。あれほど心拍数が上がったこと、自分の鼓動が聞こえたことは
いままでなかったと思います。意味もなく叫んでいた記憶があります。
窓も全く開かない。ドアも開かない。(今思えばドアはロックしてあっただけだと思う)
かなりの速さで流されている途中に、大型車が自分の車の助手席部分に突っ込んできました。
大きく破壊され助手席とフロントガラスが粉々に。今度はその破壊された部分から海水が入ってきました。
瞬く間に体が水に持って行かれ、車外へ放り出されました。水中を必死でもがき、なんとか水面へ
顔を出すことができました。水面へ出ても咽てしまい咳と嗚咽が止まらず窒息
しそうになりました。暫く流されていると、ちょうど流れが渦巻いている所に入り
ました。ふと上を見ると建物の窓からカーテンが垂れ下がっておりました。
私はそのカーテンをよじ登り、その建物に入って難を逃れました。

そこで一晩過ごすことになるのですが、あたりから「助けてくれ」「死にたくねー」と多数の声や
子供の泣き叫ぶ声、女性の尋常じゃない絶叫が聞こえました。でも、どうすることもできませんでした。
夜になると寒さは増し、自分の着ている服が凍っていました。また、まわりからの声も一切聞こえなくなっていました。

嫁と子供二人は高台の幼稚園にいて無事。
母親は実家ごと流されました。二階の屋根に必死にしがみついて流され、鉄筋コンクリ建の団地に実家ごと
ぶつかった時、団地の人たちに助けられたそうです。実家の近所の人たちも二階へ逃げたららしいんですが
同じように流され、近隣の知っている人だけでも30人近くがなくなりました。
父は女川町にいましたが、私と同じく車ごと津波にのまれました。
ですが、こちらも運よく山の木に引っ掛かり助かりました。

家族全員がそろったのはそれから6日後のことでした。

今回の震災で、親戚18人、友人6人、知り合い50人近くをなくしました。

【九死に】津波のエピソード【一生】 (via inujita)

(jithcheeから)

かなり便利だよね。これ。そりゃ、本家も買収しちゃうわなw
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